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旧太子駅とチャツボミゴケ公園で戦時中の群馬県を歴史的背景から見てみた①

2021/08/17
 
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前橋在住のRikoです。息子が仙台在住となり、群馬・前橋を見直すきっかけとなりました。Rikoなりのファインダーを通して主に前橋東部の情報や地元のウォーキングコースを紹介しています。また、疑問に思ったことをリサーチしたり、旅のレポートもしています。よろしくお願いします。

こんにちは! Rikoです。 

今回は、戦時中に国内鉄鉱石の増産を目指して、国の命運をかけて開発された「群馬鉄山」、その鉄鉱石を川崎の製鉄所へ運搬した群馬県中之条町の旧太子駅をご紹介します。

旧太子駅で展示されている貨車は、どれも貴重で、貨車ファンなら必見!

貨車のことは、よくわからないという方も、山々の景色を眺めながら、巨大なホッパー棟や索道、鉄鉱石が汽車で川崎へ運ばれる様子を想像してみましょう。

 

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旧太子駅とチャツボミゴケ公園で戦時中の群馬県を歴史的背景から見てみた。

ホッパー棟とは、鉄鉱石の積み込み施設です。↓ 

現在、残されているところは、ホッパー棟の基礎の部分です。この基礎の部分だけでも、とても大きいです。

ホッパー棟は、3階建てか4階建てくらいの高さで、当時としたら、とても大規模な建物だったと思われます。

 

太子駅は、キレイに復元され、中には、写真や資料が展示されています。↓

 

当時の列車の車止めが奇跡的に残されていました。↓

 

こちらは、ホームが復元されました。

↑こちらの貨車は、大井川鐡道から譲り受けたものです。大井川鐡道は、カーブが多いので、貨車が短くなっているそうです。

 

譲り受けた貨車に子供たちがペイントするイベントがあったそうですが、コロナの為、中止になってしまったそうです。

 

群馬県中之条町の旧太子(おおし)駅では、先日、無蓋車1両が追加で展示されました。合計5両となり、無蓋車の展示台数が全国一です。

 

太子駅で展示されている貨車は、どれも貴重で、貨車ファンなら必見!ということですが、貨車のことは、よくわからないという方も当時の駅を想像してみましょう。

 

旧太子駅 当時のホッパー棟や索道を想像してみましょう。

中之条町六合地区の元山に鉄鉱山の鉱床があり、露天掘りで採掘が行われました。ここが群馬鉄山です。↓その窪みが穴地獄と呼ばれるところで、そのままチャツボミゴケ公園となっています。

露天掘りは、坑道はなく、地表から渦を巻くように地下へ掘って行きます。鉱床が、浅くて広い場合に行われるようです。

 

チャツボミゴケ公園付近から、太子駅まで8㎞もの索道が3本ありました。

索道は、空中ケーブルです。

 

このように鉄鉱石が載せられます。↓

索道で運ばれた鉄鉱石は、太子駅のホッパー棟で保管されます。

 

ホッパー棟の下には、線路が引き込まれています。↓

 

 

↓このような無蓋車(むがいしゃ)が乗り入れます。屋根のない車両です。

 

ホッパー棟の下部は、ジョウゴのような形で無蓋車に鉄鉱石が流し込まれます。

汽車で、川崎の製鉄所へと運ばれました。そんな風景を思い浮かべながら、見学してみましょう。

 

駅長さんとお話。えっ、ここでも?

ホッパー棟のコンクリートの傷みは?

ホッパー棟の基礎部分のコンクリートを右、左へとよく観察してみましょう。遠くからでもよく見えますので、あまり近づかないようにしましょう。

↑こちらの写真を見ていただくとわかりますが、奥へ進んだ、左側のコンクリートは、比較的傷みが少ないです。この部分は、最初に造られたところです。

 

右側の駅舎近くは、コンクリートの傷みが激しいです。こちらは、あとから増設されたそうです。

 

あとから造られたのにどうして傷みが激しいの??

 

戦況が危うくなったので、即席で造られたそうです。

 

その頃には、物資が不足して、砂がなくなり、東側にある白砂川から砂利をとってきて造られたそうです。

 

右側の駅舎近くのコンクリートは、あとから造られましたが、即席の材料で造られた為、傷みが激しいというわけですね。↓

 

太子駅付近には、大規模な工場が?

群馬鉄山では、はじめのうち、良質の鉄鉱石が採れましたが、次第に採れなくなり、太子駅付近で、精錬するようになったそうです。

その後、公害のようになり、古い設備は壊され、新しい設備がつくられたそうです。かなり、大規模な工場があったようですね。

 

六合村の村民の血と汗!

長野原→太子駅区間の線路(6㎞)は、六合村村民勤労奉仕の血と汗で、造られたそうです。この頃は、重機がありません。人の手だけで、コツコツ造られたそうです。

 

戦時下だったので、先祖伝来の田畑は、強制的に接収されたということです。

 

えっ!これどこかで聞いたことない?

 

Rikoは、「陸軍前橋飛行場 私たちの村も戦場だった」の映画の記事も書いています。↓記事は、こちらです。

 

陸軍前橋飛行場?いつ?どこに?どのようにできたの?

 

そうです。この前橋飛行場ももっこで、人の手だけで造られたのです。

※もっこは、わらのむしろに吊り綱をつけた運搬用具。

 

チャツボミゴケと鉄と太子駅と前橋飛行場?何の関係があるの?と思われるかもしれません。歴史に詳しい方なら、おわかりと思います。

 

チャツボミゴケ公園(群馬鉄山)は、草津温泉から20分ほどの山の中です。

気軽なハイキングコースとしておススメです!

チャツボミゴケ公園の案内はこちらです!

 

それでは、↓次回は、この頃の歴史の背景を見ていきましょう。

戦時中の群馬県はどうだったの?この頃の歴史的背景から②

 

ご参考になれば幸いです。ありがとうございます。

 

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