横浜の心を1つにした神社?伊勢山皇大神宮をご紹介します。
こんにちは、Rikoです。
先日、横浜に行ってきました。中華街散策とシーバスに乗ってきました。
そして、横浜の総鎮守「関東のお伊勢さん」として親しまれている、伊勢山皇大神宮(いせやまこうたいじんぐう)にお参りしてきました。
ネットで見て、初めて知りましたが、前橋にも関わりのある神社とわかりましたので、歴史を紐解きながら、ご紹介しますね。
横浜の心を1つにした神社?伊勢山皇大神宮をご紹介します。
御祭神 天照大御神
伊勢神宮の内宮のご祭神と同じです。
こちらが拝殿です。屋根の千木と鰹木が、伊勢神宮を思わせます。
何とお読みするのか?わかりませんでしたが・・
伊勢山(いせやま) 皇大神宮(こうたいじんぐう)です。
皇大神宮が鎮座する伊勢山の丘は、野毛山と呼ばれていましたが、鎮座の際、伊勢山と改められました。
丘から、船の往来が手に取るように見える場所だったので、伊勢神宮の礼拝所と県内の総社たる規模の神社にしたい旨を願い出て許可されました。
今は、ビルが乱立していて海は見えませんが。。。。
横浜の人々をひとつにした神社? 伊勢山皇大神宮
明治初年(1868)に、創建された神社です。
横浜も昔は小さい漁村でした。貿易が行われると各地から移住者が集まり、また、外来文化と接することになりました。
いろんな価値観が出てきます。その人々の心をひとつにし、精神的な支柱となるようつくられました。
明治3年の遷座祭では、市を挙げて盛大な祭礼が5日間に亘り執り行われました。
貿易商たちは、絢爛豪華な人形山車や装束を作り、華やかさを競い合いました。何とその費用は、15万両。現在でいうと数十億円にもなりました。
この日本一のお祭りは、関東一円の養蚕地まで轟き、「関東のお伊勢さま」として広く知られるようになりました。
そして、開港以来の移住者であった横浜の人々が、このお祭りで初めて一体感を持つことができました。
そして、「関東のお伊勢さま」を築くという壮大な計画は、生糸貿易の利益がなければ計画にさえ至らなかったであろうとしています。
伊勢山皇大神宮 本殿
こちらが本殿です。横から、申し訳ないですが、ほんとに神々しいです。
平成25年に行われた伊勢神宮の「式年遷宮」によって建て替えられた旧社殿をこちらに再建しています。こちらの本殿の前でも結婚式が行われます。
平成30年9月に完成しました。真新しくて20年経過しているようには思えませんが、塗り物をしていないので、カンナをかけるとこのようにきれいになってしまうようですね。
そして、こちらの旧本殿は、東日本大震災で被害を受けた、石巻市の鹿島御児神社(かしまみこじんじゃ)で、再建されます。
杵築宮(きづきのみや)・子之大神(ねのおおかみ)
外宮のご祭神である豊受姫大神に合わせて、月讀命 須佐男命 大国主命 住吉三神が祭られています。
杵築宮 (きづきのみや)養蚕や海運関係の守護神です。
子之大神 (ねのおおかみ)地元の野毛地区の氏神様が祭られています。
大神神社磐座(おおみわじんじゃいわくら)
奈良県の一之宮大神神社の分霊として、磐座が鎮座されています。
奈良の大神神社には、いつか行きたいと思っていましたが、こちらでお参りできて何よりです。
伊勢山皇大神宮 御朱印
社紋の桜がキレイです。社殿の右手にある社務所で頂けます。初穂料500円
土曜日でしたが、番号札を持って10分位待ったと思います。電車の時間などがある場合は、余裕を持ってお参りしましょう。
オリジナルの御朱印帳は、異国情緒あふれる横浜らしい絵柄で、ステキでしたよ。
キティちゃんのお守りが人気です。
キティ守は、健康のお守で、1年生のランドセルにつけたりするみたいですね。
この新旧が一緒に眺められる風景すばらしいです!
手前は、注連柱(しめばしら)です。二つの大きな石柱の間に大きいしめ縄を貼ったもので 鳥居の原型と言われています。
中央左は、照四海(しょうしかい)と言う、高さ6mの常夜灯です。四海を照らす名の通り横浜港の守り神です。昔は、この明かりが船からの目印にされました。
そして、後ろには、現代の常夜灯というべき、ランドマークタワーが見えますね。
こんな風景は、横浜ならではですね。横浜の方々は見慣れた風景と思いますが、初めて見るとすごくないですか?
二の鳥居からは、工事中のビルが見えますね。
横浜の方に聞くと、あのタワーマンションの最上階はなんと8億円だそうです。
横浜中が見渡せますね。
赤レンガ倉庫側から見るとこんな感じです。それでは、少し歴史を見てみましょう。
なぜ、横浜に港が開かれることになったの?
条約では、横浜より少し江戸寄りの神奈川湊(東神奈川駅付近)としていました。
この辺は、東海道では重要な宿があり栄えていましたが、攘夷論が強かった地域でもありました。
外国人がいたら、傷害事件がおきるのではないかと幕府はみていました。そして、小さい漁村であった横浜が選ばれたわけですね。
ハリスは、横浜をみて「こんな不便なところに開港するのはとんでもない」と、やり取りしましたが、幕府が押し通す形となり横浜が開港されました。
この横浜の発展には、群馬や前橋も大きく関わっています。
1859年(安政6年)横浜港が開港。
その数年前には、輸出の花形商品の生糸をもって一番乗りしたのが、前橋の生糸商人でした。
桐生や前橋の商人が横浜に住み着いたのが、「横浜の山の手」と聞きます。
そして、横浜の代表的な観光名所である三渓園の創始者である原三渓氏は、富岡製糸場を経営していたこともあります。
前橋の生糸は貨物列車(高崎線)で、横浜港へ運ばれ、船でヨーロッパに輸出されました。
そして、ロンドンでシルクハットになったりしましたね。
開港して何年かは、生糸の輸出が全体の65%~80%という時代です。
産地別では、奥州(福島を中心とする東北)が1番で40%でした。上州群馬は2番手の20%です。
明治初期(1868年~)には、逆転して上州が一番になりました。しかし、明治12年頃には、信州に抜かれてしまいました。日本の輸出額の半分が生糸で、その3分の一が群馬県産という時代でしたね。
そして、生糸の輸出先にも変化が訪れます?
当初は、イギリス(ロンドン)、フランス(リオン)がほとんどでしたが、明治20年(1887年)以降になるとどんどん減少していきます。
そして、アメリカへの輸出が多くなります。明治40年(1907)~大正になると70%がアメリカになりました。
昭和4年には、世界一の輸出量となりましたが、今では、生糸を輸入するような時代になってしまいましたね。
そして、平成の時代では?
皇大神宮様が、婚礼施設のあるホテルを経営されていましたが、バブル崩壊後、経営が低迷となり、神社本庁に属する神社で初めての破産となりました。
その後、新たな運営体制のもとに再建が進められ、今は復活されています。
創建150年記念事業として、平成29年には、神楽殿が建設されました。
伊勢神宮より旧社殿を賜り、平成30年には、本殿が完成されています。
そして、令和2年には、拝殿が移築されます。
様々な紆余曲折をすべて飲み込んで、鎮座されている皇大神宮様。益々、パワーアップされることと思います。
そんな横浜の移り変わりに思いを馳せながら、お参りしてみてはいかがでしょう?
伊勢山皇大神宮 アクセス
桜木町駅(JR線・市営地下鉄線)より徒歩10分
市営バス紅葉坂より徒歩5分
紅葉坂を少し登って左に折れ、右側に階段が見えてきます。境内はコンパクトなので
階段を登ってしまえば、安心です。
最後に・・・
横浜に、お伊勢さんがいらっしゃるとは、知りませんでしたね。元旦は12万人、3が日で20万の人出だそうです。
桜の社紋ということもあり、境内は、桜がキレイに咲くそうですので、お花見の時期もいいと思います。ぜひ、出かけてみてはいかがでしょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。